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フリーライターの吐きだめ

ロマンス宣言

嘘になるけど最近は少しばかり旅に出ていた、時間を作らずに書かずにいた自分を窘めている。なかなか書く気が起きなくて、それも悲しかったけど、いざ書き始めると手が止まらなくて、友人との約束に遅れそうになってしまった。駆け足で外に出ると星がいつもより明るく見えてなんだか霧から抜け出したような感覚。あっという間に1月が終わる。

これは私のあるあるで、皆んなにもよくあることだと思いたいのだけど、ミニスカートを履いてチョコレート売り場を闊歩したい日もあれば、N.W.A.を聴きながら満員電車に揺られて戦場に向かう日もあって、両極端になることが自分という存在をくっきりと浮かび上がらせることに欠かせないことだったりする。

昨日はひどい悪寒と喉の痛みと発熱とで会社を早退、自分の存在がぼやけていくような感覚がして慌てて今までを思い出したりした。その日は口の端が切れかけていて上手く笑えなかったからバチが当たったのかもしれない。発熱のせいか頭がずっとぼうっとしてまともに働かなかったけど、だいすきだった先輩が隣の駅に越してきたことを知らされてタイミングに笑うしかなかった。この街とはもうすぐさよならだ。

身体が弱ると心も弱って漠然とした不安がこれでもかと押し寄せてくる。跳ね除ける自己肯定感も体力もない。健康は何より強い。毎年恒例、家族で行ってた初詣では母が必ず家族の健康を祈っていたこと。幼い頃はその祈りの意味がよく理解出来てなかったけど、今、大人になって分かる。それが無償の愛だ。許し、許される結びつきだと教わった。

火曜の夜、仕事終わりに久しぶりに会えた最高の女は親友とカテゴライズするのも今さらな関係。彼女にならなんだって話せてしまうからすごいよな。

佐賀の美味すぎるトマトハイと美味すぎる赤鶏のせせりにはノーコメントで、私たちの間には積もり積もった話が山のようにあって、昨日も会ったみたいに明日も会うみたいにいつものペースでひたすら話した。(永遠に私のターンだった気がする)それでも話し足りないのは話してるそばから話したいことが増えていくからなんだろうな。終電を蹴って朝まで江ノ島で話し尽くした日も、家まで帰る道の途中でまた話したくなってたから。とりあえず新居に遊びに来てね。

引っ越しまであまり時間がないからハラハラしたりやきもきしたりすることも多いけど、部屋を整理してると自分の人生を見直してるみたいで不思議な気持ちになる。大袈裟だと思うかもしれないけど、本当のことだから仕方ない。本当に必要なもの、本当にしたいこと、これから生きていきたい場所や、これからいっしょに生きていきたい人のこと。何もかもがすごいスピードで変わってるから、時々恐ろしくなるけど、今はそれよりも楽しみたい気持ちが強いからきっと大丈夫だ。

帰りの電車で最近お気に入りのコピーライティングをみて、またグッときてしまった。少し前になるけど、感動の勢いで思わず彼女にラブレターを出した。その返信(なんとお返事をもらえた)と彼女のインタビューの記事を見て、やっぱり言葉の可能性ってまだまだ捨てたもんじゃないと思い返す。だって言葉は全てじゃんね。