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フリーライターの吐きだめ

夜を使いはたして

明るすぎる蛍光灯のついたエレベーターで5階へ、招き猫が異様に置かれた風変わりなそこは新宿東南口を出て少し歩くと辿り着けるジャズバーだ。店の入り口には大きな招き猫がいて、私たちを中へと招き入れる。暖かな店内には呪いまがいの飾りや置物、掛け軸や絵が所狭しと並べられている。なんとなくの既視感、ああこれジブリじゃん。ハウルの寝室とかゲド戦記の街並みとかのそれじゃんと静かにテンションが上がる。埃と煙草と酒、いくつかの香水の混じった匂い。席に着いて周りを見ると日本人はどうやら私たちふたりだけで、異国の土地に彷徨いこんだみたいだ。

2年ぶりの再会に3軒目、3度目の乾杯。琥珀色のジンバックは生姜の味が強い。新宿南口で迷子になっていた背の高いこの人は私がきっと誰よりも心から思っていた人で「変わらないな、その目がとくに」と話すその人は、紺色のネクタイを締めたわたしの目がとくに好きだった。

2年の月日は容赦がない、日々の中でお互いを思い出す瞬間があっても、私たちは別の軸で、お互いがお互いの人生を、自分だけの人生を歩んできた。確かで揺るがない事実、川は流れ続ける。

それでも再会の連絡をよこしてきたのは向こうで、そのきっかけがこのブログで私の書く文章だというから素直に嬉しくて、皮肉だなと思った。物事にはタイミングが付き物だ。もう少し早ければ、もう少し遅ければ、そんな後悔をしている間にも時間は流れる。かといえば、意図せずタイミングに乗り込めたり、意図してタイミングを掴めたりもする。世間ではそれを運命だとかいうらしいけど、いつかどこかで偶然に会えたらと交差点の先を探してた私にドラマチックな運命はなかった。

だんだんと酔いが回って、隣で飲んでる5人組の会話が気になったけど耳を澄ませても賑やかな笑い声しか分からなかった。「殺されると思った」「殺そうかと思った」「殺されてもよかった」お互い泣いてたよなと馬乗りになった夜のことを話す。話すと蘇るのは胸が引き裂かれそうな切なさとそれでも確かに思い続けた記憶だ。美味しそうに煙草を吸う彼の姿だってあの頃と変わらない。

2杯目のジンフィズで少しだけ頭が冴える。あの頃と違って攻撃的な気持ちは一切ない、ただただ気持ちを伝えるいわゆる正真正銘の告白だ。まるで呪いだった気持ちは言葉になって溶けていく、私は私をやっと許せる。少し困った顔をするその人を見ていると今朝首筋につけた香水のムスクが強く香った気がした。

帰り際、改札を抜けて振り返るとまだそこにその人がいてやっぱり私が好きになった人だと思った。終電間際の電車の中は酒臭い、同じ車両に乗り合わせた人たちの中にもそれぞれの事情がきっとあるんだろうなとか当たり前のことに感傷的になった。

正直に言うと、この夜のことを文章にしてしまうことにかなり躊躇った。それでもどうにか書こうと決めて、まるで殴り書きみたいに綴っているこの日記は今までで一番ひどいものかもしれない。でもそれでもいい、書くことに意味がある。今までの私ならきっと書くことを止めていたはずだ。

きっとこの先の人生、こういう名前のつけられない感情をいくつも抱えながら生きていくんだろうな。止まない雨がないように、明けない夜がないように、願ったり祈られたりしながら、人生は続いていく。待つのは冴えないエンディングかもしれないけど、せめて自分の人生くらいヒロインでいたいじゃん。私はいつだって好きなものを、好きな人を、胸を張って好きだと言える強さが欲しいだけだ。