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フリーライターの吐きだめ

きみの鳥はうたえる

夜風が夏の終わりを告げ始めてから、夏の息が長い。

台風や通り雨が多い最近は、湿度の高い晴れの日も多くなって、髪をひとつに結って出勤せざるを得ない朝が続いている。

風の強い夜も多いから、翌朝の道路には意外なものがたくさん転がっていておもしろい。この前は角の薬局の前におたふくソースが落ちていた。

こういう季節の変わり目は、エモーショナルな気持ちになりがちだ。ころころ変わる不安定な天気は、親には言えないような記憶を悪気なく連れてくる。

 

「そんなつもりはなかった」お互いにそう言いながらも、なんだかんだと次に会う日の約束を交わした曖昧な関係性があった。

出会ったのは夏で、終わったのは冬だったっけ。わたしが着ていたグレージュのモヘアニットを触って、こういうの着たいなって言う人だった。

曖昧でだらしない関係性は、夏の終わりみたいにぬるっと終わってしまったけど、終わりの日の朝、わたしはひとりで映画館にいた。

早朝の新宿、意外とお客さんが多いことに驚く。

真ん中よりも少し後ろの席を予約して、アイスカフェラテを注文して席に着いた。以前から気になっていた映画「きみの鳥はうたえる」を観ることに、客層は年代も性別も様々で座席は結構埋まっていたと思う。

物語は函館で生活をする「僕」と佐知子と静雄の3人を中心に進んでいく。郊外の書店で働く「僕」と、一緒に暮らす失業中の静雄、「僕」の同僚である佐知子の3人は、夜通し酒を飲み、踊り、笑い合う。微妙なバランスの中で成り立つ彼らの幸福な日々は、いつも終わりの予感とともにあった。

120を数えるまで相手を待つ小さな賭けから始まり、120を数え終わらずに相手を追い掛け走り出すエンディングのこの映画。

夏の夜の香りがしてエンドロールが終わった後も、わたしは立ち上がれずにいた。

清掃にきたスタッフに会釈をされて、ハッとする。カフェオレは氷が溶けて薄まってしまっていたから、残りは飲まずに捨てた。

いつも胸に終わりが掠める時間をわたしは知っていたし、電車に乗ったと嘘をついたのに傘をさして改札で待っていた人を思い出した。

人はいつも少しの運命に期待したい生き物だ。

臆病で弱虫で、自分が傷つくことに敏感なわたしたちは平気で人を傷つけることができる。少し疲れてしまった日々の中で、そうした記憶を思い出す人はどれだけいるんだろう。

いつかの土砂降りの中で見た花火、翌日から続いた微熱はなかなか下がらなくて、このまま全部が続けばいいと思った。

夜風が夏の終わりを告げ始めてから、夏の息が長い。

鍵を持ち歩くようになったわたしはまだ何かに期待しながら日々を過ごす。何をするわけでもなく、ただ規則的にアラームをかけて今日も眠る。

 

 

 

 

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