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フリーライターの吐きだめ

庭のうぐいす

最近よく行く居酒屋で誰だか知らない人が庭のうぐいすのボトルを入れてくれていて驚いた。甘口で飲みやすい。酔っ払いの恩恵は有り難く、遠慮なくいだたくことにする。

職場には私を謎の女扱いする主婦の方がいて、この前「まほちゃんって人のこと好きになるの…?」と聞かれたときはさすがに泣いた。(人だと思われてないのかもしれない…)ありますよ、普通にあります。めちゃくちゃ好きになりますよ!うなだれてる私を見ながら「どういうところを好きになるのよ!」爆笑する主婦。(この主婦は私がへこんでるのがだいすきで、落ち込んでると爆笑しながら近付いてくる… なんだかんだ私のことが大好きなので……)
顔が整った人はもちろんすきです。(みんなそうでしょう)
他には、その人の話し方や文章、選ぶ言葉に惹かれることが多いかもしれない。文章に恋するなんてザ・女脳って感じで誠に遺憾なのですが、ここは大人しく女らしくしてようと思う。
そもそも、昔は俳句や短歌で恋や愛を伝え合っていたわけだ。ただ百人一首は女々しい歌が多過ぎるし、女よりも男の方が女々しいのは昔からのことで本当のことかもしれないね。
 
「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(百人一首35)」
 
土佐日記をはじめ、女流文学の発展を促した大文豪である紀貫之の作品。百人一首の中でいちばんのお気に入りの歌だ。私の実家の前には立派な梅の木が植わっていて、生まれ月の5月には柔らかな産毛の生えた青い梅の実が幾つもなる。若い実は青々しく水々しく爽やかな甘い匂いがして、私はその香りが昔からだいすきで幼い頃は父に肩車をしてもらって梅の実の香りに鼻を擦り付けていた。
 
幼稚園生の私は本の読み聞かせをしてもらえないと眠れなかったし、小学校に上がって図書室の存在を知ったときは大興奮だった。そして、その興奮は大学生になり国立国会図書館へ足を運んだときにもう一度体感することになった。文章は昔からの友達みたいな感覚で、卒論のために論文を読むのに苦戦していたゼミの人たちの気持ちは卒業するまで分からなかった。
私が文章に惹かれるのは、単純に文章は面白いから。そして、その人のひけらかさない知性だったりしずかな思い遣りだったりが文面から伝わってくるからだと思う。
 
2011年の春、車内広告に抜擢された『東京新潟物語』を知ってる人はあまり多くないかもしれない。私がデザインやコピーに大きな興味を持つきっかけになったのがこの作品で、出会えてよかったと思っている。(この広告にはストーリー性があるようだけど正直そこはどうでもよくて、さらに正直に言うと2013年の数枚しかすきではない)
 

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いつか新潟にも行ってみたい。