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フリーライターの吐きだめ

女優

彼女と彼女の同居人(以下、沼さん)の出会いは3年前。恋人として1年過ごした後に、別れ、それから同居が始まったらしい。沼さんからの告白、沼さんからの別れ、そしてこの間ついに彼女は同居解消の話を沼さんから切り出された。彼女は目を腫らしながら沼さんとの色々をわたしに話してくれた。付き合う前から分かっていた沼さんの人間性(世間的にはまだまだタブーなそれ)、それを理解して、認めて、好きになったからこそ沼さんのことを引き止められないと話す彼女。「それでも、あなたは沼さんといっしょに居たいんじゃないの?」と訊ねると堰を切ったように彼女が泣き出した。ひどい嗚咽の中「いつも素直になれないんだよ」と自分を責めている彼女に触れてはいけない気がした。

彼女と沼さんの関係は私には到底わからないことばかりで、2人にしか分かっちゃいけないことや、2人だからこそわかることで溢れてるはず。それでも、顔をぐちゃぐちゃにしながら彼女が発していく言葉はまるで祈りで、わたしは心臓を握りつぶされたみたいに胸が痛かった。

その夜は2人で料理を作ってお酒を飲みながら映画を観た。TSUTAYAでビフォアシリーズを手に取った彼女に今はそれやめとけば…?と忠告するも大丈夫と謎の自信(こわすぎる…)。案の定、ティッシュを抱えながら観る始末。酒に飲まれる勢いで飲みまくった彼女は泥酔しきっている。そして、水を持ってきたわたしを沼さんだと勘違いして彼女がわたしを押し倒す。馬乗りになりながら何度も「どうして?」と聞く彼女に何度も「すきだよ」と返した。午前3時の東京、夜はまだ明けない。

家族でも恋人でも、どれだけ大切に思う人であっても完全には理解し合えないようにできていると思う。それは過ごしてきた環境や時間に関わらず、お互いがひとりの人間だから。(それに理解し合えない部分があるから理解し合おうと歩み寄れたりする)ただそういう理屈がすべての救われたい人の助けにはならない。正しさは時に人を傷つける。

変わらないことが美しさと思ってはいけないし、変わることを当たり前だと思ってもいけない。ただどうしようもなく変わることが苦しい時もあって、帰りの電車に揺られながら身体に膿が溜まっていくように感覚を覚えたりする。変わろうと悪い熱がこもった様な身体が望む先は変わらずにと焦がれるもので、それって本当に皮肉だなと思う。私だって救われたい。

クリスマスが過ぎて街は途端に年の瀬ムード、良いお年をと別れる人たちをみて心が優しくなる。今年の振り返りにはまだ少し早いからそれはまた別の機会に。来年の1月末には京都に帰れるといいな。