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フリーライターの吐きだめ

耳たぶ

台風19号は世界規模の大勢力で、各国のメディアからも注目されている災害だ。関東は12日の夕方がピークで、その後はゆっくりと時間をかけて北上していくらしい。

昨日にはJRの計画運休が決まっていたし、昼休みに寄ったスーパーの棚はオフィス街にも関わらず、すっからかんになっていた。

午後、デスクで仕事をしていると先輩達から今日は意地でも早く帰りなよと何度も言い聞かせられた。何かあっても会社は面倒なんかみてくれないんだからねと語る先輩達はまるでお母さんで、そうしますと言いながらも、定時までみっちり入り込んだミーティングは抜けられそうにないなと思った。

その日の帰りの電車は早く帰りたい人で溢れていて、最寄りから降りた人はほとんどがそのまま西友に吸い込まれていった。

せっかくの3連休、予定がなくなったのはもちろん残念だけど身の安全を確保することが今のミッションだ。

わたしも例外なく西友に吸い込まれて、レトルトのおかゆとかナッツとか、停電しても断水しても大丈夫な食料を無事に確保した。

レジの列は今まで見たことのないくらいに長蛇の列で、みんながレジカゴいっぱいにインスタント食品をいれていた。

スカスカになっていく西友の売り場は、不安と焦りをじゅうぶん過ぎるほど助長させるから目に毒だ。ここまで大きな災害をひとりで過ごすことは今までなかったから、この時からもうすでに心細かった。

湯船にお湯をためて、水のうを作って、念のために避難用リュックの用意、スニーカーと軍手を玄関に準備してとにかく早く眠りについた。

今朝は昨晩からそわそわしてしまっていたからか、朝早くに目が覚めてしまった。嵐の前の静けさがツイッターのトレンドに上がるくらいで、温かいコーヒーを淹れて午前中を過ごした。

時間が経つにつれて強くなる雨と風、室内にいても聞こえる物音に恐怖心が煽られる。

取れるうちに生ものや、ビタミンを摂取しておかないとと食べるものにも気を使う。今日はなにをしていても不安でコーヒーばかり飲んでしまった。

 

不定期にiPhoneから鳴るサイレン、避難勧告の指示に、震度3の地震、災害のコンボに泣きそうになる。こういうとき、家族や恋人と居られる人が心底羨ましく思う。ひとりでいるのと、ふたりでいるのとではきっと心の余裕が違うと思う。

コーヒーを飲みながら映画を観たり、ドラマを観たり、キャンドルを灯しながらネットサーフィンをしたり、そして防災アプリとツイッターでリアルタイムな災害情報チェック。

常に外の状況にアンテナを張りながら、家の中では落ち着くようするのはわりと難しい。隣の市には避難指示が出ていたり、ペット受け入れ可能な避難場所がなかったりで、状況を判断するのがかなり難しく思えた。

それからしばらくして台風の目に入ると、外は不気味なくらいに静かになった。

遠くにいる両親や祖父母、友人達や会社の先輩達まで大丈夫か?無事か?と連絡をくれて、そういうコミュニケーションが今のわたしの唯一の拠りどころだった。

こういった本当に心細くなる環境があるとき、わたしはなぜかいつもひとりだった。いっしょに居てほしいとき、いつもひとりで朝を待って、自分の身は自分で守る術を不本意に、強制的に身につけてきた。

それが逞しいと言われればそうなのだろうけど、どんなに離れていても地震のたび、すぐに連絡をくれたあの人の優しさをわたしはきっと忘れない。そっと手を繋ぐような、そんな優しさ。

わたしの住む街の今の様子は、だんだんと落ち着いてきて、聞いちゃいけないような風の音なんかは鳴り止みつつある。まだ完全に安心してはいけないけれど、夕方と比べると確実に穏やかになってきている。

だから、ベッドの脇の鳴らない電話をみて少しだけ泣いてもいいだろうか。これ以上、強くならなくてもいいでしょうか。

誰かが言ってたんだよな、声は嘘をつかないんだって。