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フリーライターの吐きだめ

夢見る大人へ

幼い頃から本が好きで、眠る前にはよく母に絵本の読み聞かせをねだっていた。読むことが好きで、気付けば書くことも好きになって、読書感想文ではいくつも賞を貰って、その度に賞状の裏に絵を描いて叱られたりした。少し暖かみのある黄味がかった厚地の賞状は光に透かすと色が滲んで綺麗でお気に入りだった。

書くことが好きだと周りの人に伝えられるようになったのは割と最近のことで、それまでは伝えられなかった。好き=その分野に詳しくないといけない、長けてないといけない、そういう考え方が拭いきれなかったから。書くことは大好きだけど、私よりも上手に文章を書く人は私の身の回りにたくさんいて、それって当然のことなんだけど、私が他人の文章を自然と評価するみたいに、他人に私の文章を自然と評価されることへの恐ろしさみたいなものもあった気がする。大好きだからこそ評価されるのが怖かった。

この日記を書き始めた理由も、誰かに見てもらう為ではなくて、ただ自分の生活を守るための自分の為だけのものだったし。実際に、消耗されることが多い生活の中で、ただ純粋に好きなものと自由に向き合える時間があることは救いになっていて、私自身で私を救えてることが何よりこれからの動き出す力になっている。映画を観たり、音楽を聴いたり、美味しいものを食べたり、すきな人と抱き合ったりするみたいに、文章を書くことは私にとってすごく幸せで自然なことだったんだ。

緩く続けているこの日記、読んでるよと連絡をくれる人がいて嬉しく思う。毎回感想を送ってくれる友人もいて恵まれているなと感じる。はやくもつ鍋行こうね。

継続の中で考え方は生まれるし、変わっていく。最近は、評価される文章を書くのも面白いかもと思うようになって、仕事として文章を書くことを始めた。小学生のお小遣い程度の微々たる報酬だけど、お金はお金だ。好きなことをして稼いだお金でランチが買える自分がちょっと誇らしい。

春に向けて職場では異動があって、本社勤務の私は本格的に勤務地も変わる。希望していた職種も希望通りになりそうで、予定されていた5回の面接が2回になったのは不安しかないけど、まあ何とかなるでしょう。搾取されてばっかりでたまるか。春は私の味方だ。

したいことも、行きたい場所も、食べたいものも、会いたい人も、まだまだある。呆れるほど強欲。大人だけど、子どもみたいに駄々をこねて貪欲にやっていきたい。大人だから、子どもの頃にはだめだよ止められていたことも自分で越えていきたい。