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フリーライターの吐きだめ

白焼き

携帯のアラーム音が苦手なのは朝が苦手だからだろうか、早く起きろと急かす特徴的なあの音は休みの日くらい出来れば聞きたくない。右側で鳴ったそれを止める手は私より早くて相変わらず寝起きがいいなと寝惚けた頭で感心する。いつもは私が先に起きて、私が遅くに帰ってくるからめずらしい。というか、引っ越してから初めてのことだ。テキパキと用意をする気配を感じながらベットの中で微睡む時間は何にも代えられない。

そういえば私は引っ越しをした。内見をした日に入居を決めて退去まで約1ヶ月、なかなかに急な展開でそれなりにやることも盛りだくさんだったけど、それでもなんとかなった。約1年住んだ街を離れて全く知らない街へ行くことに不安や寂しさはあまりなかった。新しい家はまあまあ栄えた駅からすぐのところにあって、駅の周りにはスーパーも銀行も薬局も飲食店も十分に揃っているからいわゆる住む街だと思う。最近は改札前のパン屋さんが夜の8時以降になると、店前にずらっとパンを並べてセール価格で売り出すことを知った。甘いパンが美味しそうだったから、いつか買って帰ろう。

「行ってきます」とベットの側に来た人の濡れた髪が頬に触れてくすぐったかった。「雨だから気をつけてね」と声を掛けられて、あなたこそ風邪をひかないように事故をしないようにと祈りながら「あなたも気をつけてね」と返す。いつかの記事で見た「気をつけて」と声掛けをする方が声掛けをしなかった時と比べて、それからの時間を安全に過ごせる確率を上げるのだそうだ。本当かどうかは分からないけどその記事を目にしてからは必ず伝えるようにしている。

1階から扉の閉まる音が聞こえて、地下には思ったよりも音が響いてることを知った。しばらくベッドの上でごろごろしてから、洗濯機を回して浴室を掃除して、排水溝のよく詰まるお風呂で熱めのシャワーを浴びる。この詰まり具合は家に対するただひとつの不満かもしれない。肌をぴかぴかに磨いて浴室を出てからは下着姿で思う存分だらけた。フェイスパックをしながら好きな音楽をかけて洗濯物を干す、ベッドの上で軽くストレッチをしてからボディクリームを塗りたくる。キッチンで立ったままゆで卵とほうれん草のおひたしを食べながら、この姿をみたら「まほちゃん…!」と窘められそうだなと思った。

アマゾンプライムで映画を垂れ流しにしながら時間をかけてメイクをする。時間をかけるからといって丁寧にする訳ではないけど何からも急かされずに、先の予定を考えずにメイクをする時間は贅沢で結構すきだったりする。最近になってやっと抜けてしまった左目の睫毛が生え揃ってきてひと安心だ。久しぶりに新しいコスメが欲しい、春に向けて。

退去立会い日、時間に余裕を持って家を出る。外は思っていたよりも強い雨が降っていて息は白い。なんせ新居から1時間半もかかるから面倒くさい、でもこれも最後だ。雨だって最後の冬の雨かもしれない。

約1年間過ごした部屋はカーテンを外すと日の光がたっぷりと入る。よく晴れた日だったらもっと気持ち良かっただろうな。だけど、こんな風にゆったりと昼間を家で過ごしたことは数えるくらいしかなくて、正直大して思い入れもない。終電で帰る日々、この家では思いを抱えたまま夜を過ごすことが多かった。30分遅刻してきた業者の人にぼったくられそうになりながらも、立会い自体はあっさりと終わった。お世話になりましたと最後に見渡してから部屋を出た。終わりはいつだって呆気ない。

新たな住まいへ帰っている最中、美味い魚を食いに行こうとお誘いがあった。お世話になっている方たちに会わせたいと自然と思ってもらえることは多分すごく幸せなことだ。荷物が多いことを伝えると駅まで迎えに行くよとの連絡、体力をかなり消耗していたから本当に助かった。けれどいざ駅に着いて周りを見渡しても姿が全く見えない。まあいいかと帰ってると途中でこちらに歩いてくる彼の姿が見えて安心した、こういうところだよな。携帯を家に忘れて取り帰っていたらしく入れ違いになってしまっていたみたい、傘をさしているところを初めて見た。

向かう先は中野駅、安くて美味い飲み屋が多い。時刻は21時、駅前にはこれから飲みに繰り出す人が多いように思う。中野駅はまだまだ眠らない街だ。北口改札を出ると2人が私たちを待っていてくれた。初めましてと軽く挨拶をして店へ向かう。美味い魚を食える店の中は大人で賑わっていて、それでも品があるから騒がしくはなくて好きな雰囲気の店だった。手書きで書かれたオススメのメニューは断食前じゃなければ絶対に食べたいラインナップ。禁酒期間でもあるから私たちは烏龍茶を頼んで乾杯。(本当はめちゃくちゃ飲みたかった…)改めまして初めましてのご挨拶、やっぱり私は人見知りするタイプじゃないなと思う。かといってすぐに馴れ馴れしくも出来ないけど、フラットなテンションでその人を観察してしまう癖がある。左奥に座っている男の人は店員に無愛想だけど、桜色のシャツと小豆色のネクタイがすごく似合っていた。

3人の積もる話をぼんやり聞きながら店内を眺めている時間はなんだかすごく心地良くて、お正月に集まった親戚と暖かい部屋でお寿司を食べているときのあれに似てた。変わった人でしょうだとか、何してるか分からない人でしょうとか、会う人みんなに言われるけど、私にとって職業や年齢はあまり重要じゃなくて、例えば四季を感じられる人かどうかとか、物を大切にする人かどうかとか、そういうことの方が大切で、そういう部分にその人自身ををみれる気がする。閉店の時間になって店を出ると雨が止んでいて、空気は雨上がりの湿度を保った冷たさだった。改札でまたねと手を振る2人が可愛くてお茶目で素敵で心がときめく。出会えて良かった。こういう年の取り方をしていきたい。

2人で電車に揺られながら同じ家へ帰る、新鮮味がないわけじゃない。けど、何となく前にもあったような懐かしい気持ちになるのは私だけかもしれない。優しさとは与えることだと優しい人からいつか聞いた、私はどれだけ与えられる人になれるだろうか。受け取った愛を、優しさを、寂しさを、悲しみを、慈しみをどれだけ強さにできるだろうか。