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フリーライターの吐きだめ

エンドロール

人は忘れる生き物だ。

子どもの授業参観や、結婚記念日、光熱費の引き落とし日や大事な会議の資料も、時には忘れてしまう。

忘れたくないものほど忘れてしまうことだってある。

その理由として、人は忘れることで生きていける生き物だからというのがある。言い換えれば、忘れなければ生きていけないのが人なのだ。

このご時世、ストレスフルのこのご時世。

2人に1人が精神疾患を抱えてるようなお粗末な日本で、忘れることが自分の身を守るための最大の防御だと言えるからだろう。

ただ、例外として、誰に言われようと、何をされようと、忘れたくても、忘れられないこともある。

そうした記憶は、血肉で身体が作られるように自然に、癌細胞のように素早く、細部にまで転移して蝕んでいく。

さらに、そうした記憶が忘れたくないものだとしたら尚更だ。

場所や音楽、匂いや天気、細部のあらゆるものに深く根を張り、力強く根付いていく。

 

私の中にも、深く根を張る記憶がいくつかある。

降り立ったのは小田急線町田駅。

治安はあまり良くはないが、時間と通りさえ気をつければ問題はない。駅前にはルミネやマルイ、モディといった商業施設が密集し、コンパクトに買い物ができる便利な街だ。

飲食店も多く、町田商店をはじめとした家系ラーメンも軒を連ねている。

上京したての3月、トレンチコートを着てもまだ肌寒い春の風が冷たい日だった。

シルバーに染めたインナーカラーはもう色が抜けてきて、これからの全てを漠然とした不安に飲み込まれそうだった。

あの頃のわたしはひどく不安な顔をしていたと思う。

そんな中、京都で女子高生をしていた頃から仲が良かった先輩のライブに誘われ、初めて夜の町田に繰り出したわけだ。

 

予想通りライブハウスの中は完全にアウェーで、わたしは壁際に棒立ち状態。終盤になるにつれて、内輪ノリになるあるあるで居た堪れなくなって外に出てしまった。

どうしようもない孤独感に涙が出るのを堪えながら来た道を戻る。ちょっと浮かれて来たのが馬鹿みたいだと思った。とにかくもう家に帰りたかった。

日中よりも冷えた風が余計に心を荒ませる。

足早に改札に向かっていると、後ろから駆けてくる強い大きな足音がして、驚いて振り返れば、そこには先輩がいて。

まだ春の寒い夜に半袖で、めちゃめちゃに息を切らしながら走ってきた先輩がいて。

 

なんで帰っちゃうのと少し怒りながらも、改札越しに手を振る姿をみて、なぜか、きっと大丈夫だと思った。

帰りの小田急線は、人がまだらで朝の混雑が嘘みたいにガラガラだった。

空いてるいくつも座先を横目に、扉近くに立つ。座る気分にはなれない。

流れる景色をみながら、再生したiPodからはくるりの東京が流れた。

 

上京してもう6年が経つ。

嬉しいことも悲しいことも、出会いも別れも色々あったけど、ふと思い出すのはあの夜の春の風と生温い小田急線の空気、色の抜けたインナーカラー。

思い出すたび、あの頃のわたしが背中を押してくれる気がする。

 

人は忘れなければ生きていけない生き物だという。

でもきっと、忘れられなくとも、思い出と共に私達は生きていける。

そうして根付いた記憶は、いつか新たな芽をだすはずだから、その時まで、また。