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フリーライターの吐きだめ

東京

 

その月曜は突然やってきた。

7時半のアラームを止めて、10分後にかけた2度目のアラームが鳴るまでベッドで暫く横になる。起きてすぐには動けない私にとって、この10分はかなり貴重だ。

2度目のアラームが鳴ったら、さらに10分後にかけた3度目のアラームが鳴るまでに、ドックフードを入れて、歯磨きをして、朝パックをする。朝パックはラズベリーの人工的な甘い香りがお気に入りだ。ミントのスースーした冷たさにやっと目が覚めて化粧に取り掛かる。

週の頭、休み明けは人が死にやすい。これから始まる絶望に、絶望して死んでいくんだろうか。人身事故が起きて遅れる電車、いつの間にか舌打ちをする大人になってしまいそうで怖い。

少し時間に余裕を持って家を出た。

肌寒い気温はすっかり冬で、ノースフェイスのアウターを選んだわたしを褒めたたえたい。駅までに今日の仕事内容をなんとなく予定立てる。先週末の撮影データ、トリミングとリネームと、それから商品も登録して、あと、そうだ。月曜日は会議だらけだった。

予定通りの時間に到着した電車、相変わらずの満員でものすごく窮屈だ。考えれば考えるほど、この満員電車という乗り物は本当に気味が悪くて鳥肌が立つ。膝裏やお尻にぴったりとくっつけてくるサラリーマンの足、気付かれていないとでも思ってるんだろうか。

順調に進んでいた電車は特急の乗り換え駅で、予想以上に停止した。「間隔調整のため暫く停止します。」車内に流れるアナウンスをきいて、多くの人がiPhoneを取り出す。会社か取引先か、友人か恋人か、少なくとも同じ車両に乗る人たちの計画はほんの少しずつ歪み出しただろう。例外なく私もそうだったし、またかと思った。

銀座線に乗り換えた時間は予定時刻を大幅におしていて、もう今更どれだけ急いでも遅刻する時間帯だった。というより、急ぎようがない。それから電車に乗ってすし詰めになりながらも社用携帯を確認する。

「遅れるならもっと早く来なさい」

ただ一文、部長からそれだけの連絡があった。遅刻や早退の管理は同じ会社に勤めている人全員がメールでやり取りしている。私だけじゃなく、そのときは複数人、遅延が理由の遅刻を連絡していた。ただ一文、その一文で、わたしは会社を辞めようと思った。

なぜか涙がぼろぼろと溢れた。向かいにも隣にも人がいたけど、もうどうでもよかった。

ああもう無理だなと冷静に思ったのと同時に、少し白けたように客観視できる自分を悲しく思った。きっと、ずっと前からこの未来が分かってたはずだったのに。

そこからはあまり覚えていない。

気付けば渋谷にいて、とにかく温かいものが飲みたくて、渋谷マークシティのスターバックスに入った。店内は赤や緑、ゴールドのクリスマスグッズで溢れている。

気付けばさっき「後でね」と別れたはずの人が隣にいて、淡々と今の自分の気持ちや考えを話してた。その人は頷きながら静かに話を聞いて「よくやった」と笑った。また涙が溢れそうだった。

退職前祝いしようと連れて行かれたのは、スクランブル交差点を渡った先にある鰻屋だ。

「こんなところにあったの?」

「意外と美味いんだよ、これが」

ニコニコと笑いながら引き戸を開けて、私に中へ入るよう促した。中に入ると、老舗の香りがして先程スクランブル交差点を渡ったことを忘れてしまいそうだった。二階へどうぞと、通された階段を上る。すでに2組の先客、どうやらサラリーマンだ。

「まあまあ飲みましょうか」

瓶ビールをグラスに注いで乾杯。

気持ちは随分と落ち着いて、意思はしっかりと固まっていた。焼き上がりまで40分、これからやりたい事やつきたい仕事について話した。

運ばれてきた鰻は今まで食べた何よりいちばん美味しかった。泣きながらご飯を食べたことがある人はきっと大丈夫なんだと、私は教えてもらった。

それからしばらくは有給を使って仕事を休んだ。体調を心配するメールや、社会人としてあり得ないとかいうメールが何通か来たけどもう全部どうでもよかった。

何度も何度も相談したはずなのに、何も水面に上がらない。全て水面下で進められ、波紋にもならないような方針に耐えられなかった。

「話せる人が居ない」から「話したい人が居ない」に変わっていって、それからはもう気持ちは戻らなかった。

人事部との話し合いでは、執拗に「なぜ?」と聞かれた。どうして、辞めたいの?どうして?辞める必要はないんじゃない?他にも道はあるよと。

なぜ?どうして?

何かひとつが引き金になったとでも、この人たちは本気で思ってるんだろうか。だとしたら、わたしの決断はきっと正しかった。

すべての積み重なり、ほんの些細な不信感や、ほんの細やかな傷、「相談」という手段を用いて何度も消化しようと試みてはみたけれど、結果的に何度も何度も繰り返し泥水を飲むことになってしまったからだ。

 

会社を正式に辞められた訳じゃない。

ただわたしの気持ちはもう決まっていて、それが覆ることはもうない。それで、そんな状況だからこそ分かったことがあった。

まず、とりあえず3年は大嘘だ。その言葉で思いとどまっている人は、たいして辞めたくないのか精神が参りすぎてバカになっているかのどちらかだ。その3年、誰が責任取るのか考えた方がいい。賢い選択をしよう。

それから、本当に辞めたいならもう無理限界だと思える内に辞めた方がいい。何も考えられなくなって、心が死んでしまってからでは手遅れだと思う。職から離れるのは想像以上に体力も精神力も消費する。感情を失うことは、大切な誰かを失うことと等しくつらい。

 

この日、帰る頃には雨は止んでいた。

傘を閉じながら、東京にきた頃を思い出す。

まだ春が遠い3月、期待と不安に胸を膨らませながら、新宿を歩いていたっけ。

多摩川のボートからみた夕陽や、人混みの中で見た大きな花火。あのバンドは、きみの夢が叶うのは誰かのおかげじゃないって言ってたな。

あの頃、きっと2人ならと手を繋いでいた人はもうわたしの隣にいなくて、すきだったあのバンドは解散した。

世界はそう簡単に変わらないけど、もう少し、もう少しだけ、ここでがんばろう。