war

フリーライターの吐きだめ

おせち

私が生まれ育ったのは京都の東に位置する左京区、寺社仏閣が豊かな街で家から徒歩5分程で銀閣寺に到着する。紅葉や椿のうつくしさで有名な法然院や永観堂は、幼い私と祖父との定番の散歩コースだった。「京都って良いところですよね」大抵の人にそう言われるので「そうですね、でもお寺ばっかりですよ」なんて返すものの正直悪い気はしないし、実際に方言マジックを使って気になる男の子を誘惑できたりするので京都出身でよかったと思う。とはいえ、夏は蒸される暑さ、冬は底冷えの寒さで決して暮らしやすい土地ではない。山が多い分、坂道ばかりで自転車移動は地獄だ。左大文字の麓にある私の実家も例外なく急勾配の上り坂の上に位置しているから、学生時代は自然と足腰を鍛えられたものだ。18年を過ごした京都、思い出ばかりのこの土地にほんの少し息苦しさを感じてしまうのは私がまだ未熟だからだろうか。

約2年ぶりの実家への帰省。昨夜、大晦日は大濠公園の裏手にあるわりと有名で大きな神社へ参拝に。ちょうど日付が変わる頃に鳥居をくぐった。そんなに人は多くなかったけど矛盾ばかりのソーシャルディスタンスが馬鹿らしくて笑ってしまう。雪が散らつく中、ほんの少し奮発して50円を投げ入れる。五重の縁とまでは言いません、与えられたチャンスは全て受け取れますように。干支みくじはふたりして大吉、願事は叶うらしいのでラッキー。結ばずに財布に入れて2021年を迎えることにした。帰宅後、冷えた身体を湯船に浸かって温める。掛けようと思った電話、まあいっかで終わらした感情、仕方ないで締め括る結末、世界は滞ったかもしれないけれど、私は心も身体も自由な年だった。それからネイルするのが少し上手くなった年だった。

今年はどんな年にしようか。愛情の行く末を見つけられるだろうか。