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フリーライターの吐きだめ

生ミント

その日は夜風が気持ちよくて、散歩したくなるような夏の夜だった。

中野で待ち合わせをしたことに特に理由はない。ただ、帰宅のしやすさと下調べをせずとも何かしら美味い店があるという経験からだった。

賑やかなアーケードが見える改札口を出ると、そこは待ち合わせ場所の定番でほとんどの人が携帯と改札を交互に見合ってたりする。壁沿いには落書きがあって、高架下で待つ人の表情は暗く感じる。

改札を出て直ぐに肩を叩かれて驚いた。「びっくりしたあ」と声に出すと「びっくりし過ぎでしょ」と笑われた。久しぶりの再会、距離感の変わらない関係性に安心する。

「何食べようか」「なんかあっちに美味しそうな店あったよ」「本当に?」「ほんと、ほんと」「あっち?」「そう、こっち」「久しぶりだね」「ほんとだよ、久しぶりだ」

すれ違う人達は顔を赤らめた社会人ばかりで、明るすぎる商店街の街灯がなんだか場違いな感じがした。

中野はとにかく飲食店が多いから、一本路地に入れば知る人ぞ知る美味い店がひしめき合ってる。ディープな街、中野は夏がよく似合う。

「あ、ここだ」「お、行こ行こ」

赤提灯のさがった串揚げ屋、細い階段を上ると店内は盛況だった。カウンターに通されて生ビールで乾杯、とりあえず串の盛り合わせを頼んだ。

「フェイントかけられてばっかりだったんだけど」「いや、ほんとそれは、ごめん」

愉快そうに笑いながら、わたしの一連のドタキャンを議題にあげてきた。

「全部本気なんですけどねえ」「怒ってはないけどさ」「いや、ほんとごめんね」「そういうのも含めて楽しんでるから大丈夫だよ」

おかしい人だなと思いながら、わたしのいい加減さを絶対に跳ね返さないこの人の人柄がすきだ。

「どこかで見たことあるのに、これ」

レモンサワーを頼んだその人のグラスに深い青の葡萄が描かれていた。

「これ?」「そう、たしか本とかでさ、なかったっけ?」「どうだろう、お洒落だけどね」

葡萄を指でなぞると水滴が付いた。火照った指先の感覚がすこし鋭くなった気がした。

 

店を出て迷路のような道を迷わずに進んでいく姿を見ると感心する。わたしはすぐに分からなくなるから、その力強い歩みは永遠の憧れかもしれない。

久しぶりの再会だったから、積もる話がたくさんあって、時間はあっという間に過ぎてしまった。終電なんてとっくに過ぎていたけれど、それでもまだ当たり前に夜が続くと思った。

タクシーで新宿に移動、10分程度の乗車はあっという間だった。

歌舞伎町近くのミュージックバーへ。行ったことはなかったけど、なんとなくいい感じだったから入ってみた。スクリーンではマドンナが歌ってた。

「なに飲む?」「ジントニックかな」「すみません、ジントニックふたつ」

わたしたちの注文を聞いてマスターは片手を高く上げた。なんとなく私たちも手を挙げる。

「せっかくだからリクエストしなよ」

テーブルにセットされたリクエスト用紙、注文の度に渡してもいい紙で、リクエストした曲はなるべく店内で流してくれるそう。MVがあればスクリーンにも映してくれる。

「まほちゃんの青春にいちばん影響したバンドってなんなの?」「えー、oasisかな」「へえ、意外かも」「意外かなー」

実際影響したかはよく分からないけど、oasisはだいすきだ。フジロックで聴けたのは死ぬまで最高の思い出だろうな。

でも、なんとなくoasisを書く気にはなれなくてbowieのheroesを書いた。

「まほちゃんさ、今の彼氏とも、今まで好きだった男とも上手くいかなかったらさ、おれと結婚して」「なにそれ」「おれのこと最終手段にしてよ」「自分で言うなよ」

恋にも愛にも値しない立ち位置で、躊躇いもなく未来を話すことは楽しい。2杯目に頼んだモヒートはジントニックと同じく本当に美味しいやつだった。

席を立とうとするとふいに薬指を握られた。

「どうしたの?」「サイズ知っとかなきゃ」

大真面目に言うものだから何て言えばいいのか分からなかった。

「あ、oasisだ」「だって今も青春でしょ」「そうかも」

映されるMVを観ながら指をほどくタイミングが見つけられなかった。触れた指を解いたあと、いつもより脈がはやかったのは飲み過ぎてしまったからだと思う。

帰り際、行かないでよと何度も駄々を捏ねるその人の様子がいつもと違う気がした。タクシーから流れる街並みを眺めていると、全部が他人事のように思えてくる。店を出る前に流れたheroesを思い出しながら、もう少しだけ今日の夜風の中に居たかったと思った。